この時期,大学では卒業論文,修士論文の締切が迫っている.
指導教員によって頁一面に修正された赤いペンをもってして"論
文の花が咲く"と表現されることもある.
若者は文章の書き方がまるでなっていない,とぼやく教員は多い.
そんな指導教員自身もかつてはそうだったに違いない.小生の論
文にはいまだに花が咲く.まさに「花さかおじさん」である.
欧米へ留学したアジア人学生は,能力があるにもかかわらず留
学先の教授から誤解されることがある.
リチャード・E・ニスベット著
木を見る西洋人森を見る東洋人
によると
アジア人学生にとっては,文章技法(レトリック)の大部分が初
めてのものである.その学生の書く論文に失望させられることも
珍しくない.それはなぜか?
アジア人の生活においては意見を戦わせ会う機会が少ないから
である.
アジアでは自分の意見を述べることよりも,周りに歩調を合わせ
る(空気を読む)ことの方が重要視される.
教育現場では,自分の主張を通すよう発言したり,文章に書
いたりするトレーニングはほとんど行われてこなかった.
学術論文には西洋的な文章技法が求められる.
いわゆる「形」 が要求されるのである.日本の学校のカリキュラ
ムでそれを習得する機会はほとんどない.
最先端の技術をうんたらかんたら,という前に文章技法を身に
着ける方が大切なのではないかと考える.
最先端技術は時間が経つと最先端ではなくなる.文章技法は
普遍的である.
この本は大変興味深い.今後もこの本に関するトピックを取り
上げたい.