カラノウ (身体は脳みその乗り物): 思考の違い

2016/01/11

思考の違い

この時期,大学では卒業論文,修士論文の締切が迫っている.
指導教員によって頁一面に修正された赤いペンをもってして"論
文の花が咲く"と表現されることもある.

若者は文章の書き方がまるでなっていない,とぼやく教員は多い.
そんな指導教員自身もかつてはそうだったに違いない.小生の論
文にはいまだに花が咲く.まさに「花さかおじさん」である.

欧米へ留学したアジア人学生は,能力があるにもかかわらず留
学先の教授から誤解されることがある.

リチャード・E・ニスベット著
木を見る西洋人森を見る東洋人
によると

アジア人学生にとっては,文章技法(レトリック)の大部分が初
めてのものである.その学生の書く論文に失望させられることも
珍しくない.それはなぜか?

アジア人の生活においては意見を戦わせ会う機会が少ないから
である.

アジアでは自分の意見を述べることよりも,周りに歩調を合わせ
る(空気を読む)ことの方が重要視される.
教育現場では,自分の主張を通すよう発言したり,文章に書
いたりするトレーニングはほとんど行われてこなかった.

学術論文には西洋的な文章技法が求められる.
いわゆる「形」 が要求されるのである.日本の学校のカリキュラ
ムでそれを習得する機会はほとんどない.

最先端の技術をうんたらかんたら,という前に文章技法を身に
着ける方が大切なのではないかと考える.
最先端技術は時間が経つと最先端ではなくなる.文章技法は
普遍的である.

この本は大変興味深い.今後もこの本に関するトピックを取り
上げたい.